奏太が岐阜の実家で爆睡している時、俺はキリと転職エージェントの土井に紹介された名古屋のフォトスタジオに来ていた。
そしてフォトスタジオの見学をした後、敷地内のカフェでコーヒーを飲みながら、ノートを開きキリがヨリミチビヨリの吉田さんに教わった、というレーダーグラフをやってみた。
キリコ 「…うわー、…お互い、バランス悪すぎるね」
夫婦そろって綺麗に歪んでいた。見事なまでに生活の配分バランスが悪すぎた。
「レーダーグラフ」で生活のバランスを可視化してみたら… / 17話 side満

奏太のお昼寝により、久しぶりに夫婦2人きりの時間を過ごすことになったキリコと満。満の転職先候補であるフォトスタジオを見学し、併設されたおしゃれなカフェで「これからの人生」について話すことに。ヨリミチビヨリの吉田から教えてもらった「レーダーグラフ」を夫婦で書いてみてわかったことは――。

第17話 side 満

満 「なんか、キリのやつブーメランみたい。俺は…ツノ」
キリコ 「そうだね。ぜんぜん、丸ではないね。もうとがってしょうがない…」
分かっていたはずだけど、こうやって見えるようにしてみると酷さにえぐみが出るな。
あれ…ちょっと待てよ。このグラフって俺の父ちゃんのグラフじゃないよね?
え、俺このままだと確実に第二の父ちゃんになるよね?
ラーメンの仕込み、ラーメン店の営業、掃除、仕込み…みたいに。俺の場合、お直し受付、受付、受付。ちょ…受け付けてばっかりじゃないか…。
鼻からふぅっと息を漏らすと、キリが俺のグラフを人差し指でトントンと叩く。
キリコ 「パパはやっぱり仕事の時間が多すぎるんだね」
満 「うーん…そうだね。…こうやって自分の時間が限られてるのを見ると、なんかやっぱりもっと家族で楽しむ時間がほしいなー。あとは気持ちの問題だけど、楽しめてない仕事に自分の時間をたくさん取られてるのは、毎日のことだからしんどいのが溜まっていく感じはする」
キリコ 「あと見てパパ…。もうお互いの『夫』『妻』の割合が少なすぎて悲しいわ…」
満 「他の夫婦もこんなもんな気はするけど…でもまぁ、たまにはゆっくりしたいかもね」
キリコ 「うーん…」

今度はキリがため息を吐き、代わって俺がキリのグラフを人差し指で突く。
満 「キリはさ、奏太が入園したら少しは『子ども』の時間が減るから、仕事の方に使えるんじゃない?」
キリコ 「そうだねー…。でも病欠とかあるしなぁ。本当に仕事できるのかぁ。だってさ、雇う側からしたら急に休む人より、安定してちゃんとやれる人の方が良いに決まってるもん…」
満 「うーん、まぁね。じゃあ、仕事しないなら、『子ども』から減った時間は、「家のこと」とか「自分のこと」に移るって感じかな」
キリコ 「…うーん、そうなるとそうなったで、無駄な時間を過ごしちゃいそうな気もする。だって、なんだかんだ言ってもお金のかからない趣味って難しいじゃん? 好きなあんこのスイーツ食べ歩くにもお金はかかるし…。家の事ばっかりやってても楽しくないしね」
満 「まぁね」
キリコ 「10年後…このグラフがバランスよくなるには、どうしたらいいんだろう」
満 「んー…」

俺が唸ったあと、しばらくキリとお互いのグラフを見ていた。
こうやって現状のグラフを見ていると、なんだかどんどん人生のグラフに見えてくるからコワイ。
何歳まで生きられるのか、そんなこと神様にしか分からないけど、この円が一生だとして…。
うわぁ、コワイ。これからの人生がずっとこのツノ状態なんて。
とんがってばかりの今を、キリと奏太、家族3人で丸に近づけるにはどうしたらいいんだろうか。
満 「あのさ、どうなりたいか、理想を書いてみたらいいんじゃない? どうなったら完璧なの、キリは」
キリコ 「え、私は……うーん、病欠とか怖がってないで本当は仕事したいし、映画を見に行く時間もあったらいいなぁとは思う。ぜんっぜん見れてないし、産後は…。あとは、ゆっくり本を読む時間もほしい。あとはたまにこうやってパパとお茶したい。もちろん奏太と遊ぶ時間もほしいし」
満 「ちょっと待って」
キリの理想が溢れ出してノートに書く手が追い付かない。
キリコ 「あぁ…ごめん。ちょっと落ち着くわ。言い出すととまんなくなるね。普段やりたくても我慢してるのが止まらないわ。…ふぅ。でもそんなもんかな。次はパパね」
キリは俺からノートを取ると、ペンを持って小さくうなずく。

満 「俺かぁ…そうだなぁ。うーん……」
キリコ 「深く考えず恥ずかしがらず言ってみなよ。今、ここは理想を話す場なんだし。ムリムリっていう概念を捨てて~、さぁ、目を閉じて~想像してみよう~。なにが見えますか~。ほら、目を閉じて~閉じなさい~閉じろ~」
満 「えー…、うーん、目を閉じるの? いや、そういうのはいいけど、そうだな…。奏太と庭いじりしたいかな」
そう、前に買った本に載ってたみたいな、草花がいっぱいの庭。
満 「庭を小さな森みたいにしたい」
キリコ 「森…って、どんだけ広い庭なんですか。まぁいいか、理想だもんね。えっと、庭いじりね。あとは?あぁ、やりたいと思える仕事がしたいんだよね」
満 「うん、理想を言うならね」
キリコ 「今、理想タイムだからいいの」
満 「そうそう、そうでした」
キリコ 「パパの希望を叶えるには…まずやりたい仕事に転職して、庭のある戸建てを買って…と。あ、でも住宅ローンを組むには、転職前に家を買った方がいいのかな?」
満 「あぁ、そういう問題もあるね」
キリコ 「じゃあ、まず家を決めないと始まらないのかー。でも家を決めて、そのあと転職できなかったらそれはそれでやばいよね」
満 「本当にリアルに転職するとしても、フリープランに明日から行きませんってことにはならないから、引継ぎには1ヶ月はかかるだろうし、その間にローンを組めばいいのか?」
キリコ 「フリープラン勤務でローンを組んで、転職しちゃうってこと?いいの? それ」
満 「わかんない。江原に聞いてみる」
キリコ 「うん。で、もし本当にここのフォトスタジオに転職すると考えて…。仮にね。そうなると、この辺に住むってことだよね。今、いいなと思ってるのは…あの白い戸建てだよね」
満 「そうだねー。まだ中は見てないからあれだけど、庭の広さとか、外観の感じとかよかったよ」
キリコ 「じゃあ、万万万万が一、あの戸建てを買って、パパがここに転職したら、奏太は?」
満 「俺の卒園した桜葉幼稚園かな」
キリコ 「あぁ、今から新たな幼稚園か…。川口の入園申し込みをキャンセルして、桜葉に願書だして、制服のサイズとか、教材とか、いろいろ…」

分かりやすくテンションが下がったキリを前に、俺はキリのテンションが再度上がる「あること」に気づく。
満 「あぁ! キリ…仕事できるんじゃない?」
キリコ 「え?」
満 「奏太が病欠の時は無職のじーさんとばーさんがいるよ」
キリコ 「…あー」
満 「休みの日は俺が奏太を連れて実家に行くよ。そしたら仕事できるでしょ?」
キリコ 「まぁね…」
満 「俺が奏太と庭いじりしてる時は本読んでれば? お互いいっぱいいっぱいで疲れ切ってる親より、余裕があって遊んでくれる親の方が奏太だっていいと思う。俺が現にそうだったから」
親になった今、子どものために一生懸命働いていた両親の気持ちは分かる。
でも俺は奏太に自分と同じ想いはさせたくない。
子どものために仕事を頑張ることも、子どものために仕事をセーブすることも両極端のようで、どちらも必要な気がする。
キリコ 「そっか…。二人の理想を書き出すと、それを叶えるためには岐阜に家を買うことがベストなのかもねー。…うわー、なんだろう。叶えたいけど、大きな決断すぎて足がすくむわ」
満 「まぁね。住み慣れた場所を離れるのは不安だよね。俺も、長年勤めた会社を辞めて転職って…実際やるとなると不安しかないや。でもこれからどうやって家族で過ごしていくのか本気で考えるなら、思い切る勇気が必要なのかもしれないねー」
キリコ 「うん…」

しっとりとした演奏が終わり、アコーディオン奏者がステージに現れ、チェロリストと共にリズミカルな音楽を奏で始める。
キリコ 「…とりあえず明日、戸建ての内見をしてみよっか。せっかく岐阜にいるんだし。幼稚園のプレも奏太が行くって言えば、私もプレに行くのは問題ないよ。色んな可能性を見てみようよ」
満 「そうだね。江原に電話しとく」
キリコ 「うん。じゃあそろそろ行こうか。奏太、起きちゃうかもしれないし」
満 「うん」
まだ迷いの中にいるけど、こうしてキリとちゃんと話せてよかった。大きな選択をするとき、キリと奏太が横にいてくれたら怖くないかもしれない。

――22時。
俺はタカヒロが店長をしているファミレス「Smile BARN」に来ていた。
低価格が売りの店だから、土曜の夜は学生で溢れている。
窓側のソファー席に座り、ホットコーヒーを飲んでいると「遅くなってすみません」「わりいわりい」と二人の声が同時に聞こえてきた。
そこには白シャツに黒い蝶ネクタイをした仕事着のタカヒロと、ラフな格好の男性が立っている。
土井 「お会いできて嬉しいです。改めまして土井です。よろしくお願いします」
丁寧に名刺をもらい、俺も現職場の名刺を渡した。後ろでは高校生らしきグループが大声で騒いでいる。
タカヒロ 「マジで悪ぃ。バイトの高校生が病欠で、急に入ることになっちゃったからよ」
満 「いや、俺はいいんだけどね。土井さんが大丈夫なら」
土井 「僕も大丈夫だよ。居酒屋に行っても、僕飲めないんで」
満 「あぁ、そうなんですね」
いやしかし、見た目も爽やかだし、タカヒロとどんな繋がりなんだろ? ラッパーには見えないし…。
タカヒロ 「飲めないっていうか、酒やめてんだよね。本当は酒豪なの」
満 「あー…、なにか病気とか?」
土井 「あははっ。違います」
タカヒロ 「いや、一概に違うとは言えねぇ。ある意味、病気だから」

話が読めない俺にタカヒロが教えてくれた。土井さんは「ボルダリング」マニアだと。
転勤族の土井さんが初めにクライミングに出会ったのは10年前。たまたま引っ越した先の公園に小さなクライミングウォールがあって、子どもが砂遊びに熱中している間にやったのがきっかけではまったらしい。
タカヒロ 「で、そっからぶったまげ。作っちゃったの、自宅に巨大なクライミングウォール」
満 「えぇ」
土井 「ははっ」
タカヒロ 「んで、ここのお嬢ちゃん、キッズの大会で優勝しまくり。K.Dも大人の大会でけっこう強くて、嫁もはまっちゃってるの」
満 「なんかすごいですね」
土井 「ははっ」
タカヒロ 「驚くのはまだ早いぜ。そんな強いお嬢ちゃんの噂が広まって、見に来る人が増えたから、K.Dはウォールを解放してんの。んで、嫁さんがコーヒーの屋台を出したり、もうちょっとしたテーマパーク状態よ」
土井 「タカくんもけっこう来てくれてるよね」
土井さんは自分のスマホを開き、自宅の写真を見せてくれた。室内や庭にもクライミングウォールがあり、みんな笑顔で…眩しい。
満 「わぁ、すごい。なんかいいですね、家族で楽しんでる感じが」
土井 「はい」

ボルダリングの話を一段落した頃、土井さんはさっそく俺の転職について話し始めた。俺は今日フォトスタジオを見て、魅力的だったことを正直に伝えた。
満 「ひとつ気になってるのは…」
土井 「なんでしょう」
満 「あんなに良い場所なのに、どうして今のスタイリストは辞めちゃうんですかね?」
タカヒロ 「実はブラックじゃ、笑えねぇもんな」
土井 「あぁ、それはないよ。フォトスタジオが人気過ぎて、予約がなかなか取れない、というのはお話ししましたよね」
満 「はい」
土井 「それで今、2号店のオープンに向けて準備しているそうです」
満 「あぁ…今のスタイリストさんはそちらに?」
土井 「そうです、そうです。円田さんの職歴などを見ても、社内の審査はほぼ100パー通りますよ。通ったからって絶対応募しなきゃいけないってこともないし、社内審査だけでもやってみませんか? 応募締切も近いので」
満 「ですよね…」
まだいろんなこと決めてないけど、まず俺が前に進まないと他のことも進まないよな。
まずは俺が一歩…。
満 「おね…がいします」
タカヒロ 「いいじゃん、じゃんじゃん、最高じゃん」
土井 「了解しました。社内審査を進めさせてもらいますね。で、えっとですね、先方の締め切りまで時間がないので、同時に履歴書作成と、あと何か服を作ってほしいんです」
満 「服…ですか?」
土井 「面接時に、自作の服を持って行くことになっていまして。もう準備しておいた方が良いと思います」
満 「あ…はい」
書類が通るかどうかも分からないけど…久々にやってみるのもいいかもな。通るかどうか分からなくても、服を作る理由をもらえて、なんだか嬉しいかもしれない、俺。
――翌日、満、キリコ、そして奏太は、江原にすすめられた家を見にいくことになった。

▶︎▶︎ 次回、18話は、4/10(火)20時公開予定!

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