よく晴れた12月のある日曜日。
本当なら、こんな日は奏太と外遊びがしたい。全身で「楽しい!」を発する奏太が見たい…。
住田 「そうですかー、家賃けっこうしますね。やっぱりまずはうちの会社の会議室でやってみるのがベストかもしれませんね」
満 「……え?」
新豊洲駅にある衣類高級クリーニング専門店・ララウ本社の会議室でちょっとぼんやりしていた俺は、ララウの担当者である住田の言葉で我に返った。だってこんなに天気がいいから…って、え? 今、なんて言いました?
住田 「昨日の夜、社長同士で話して決めたらしいですよ。満さんが問い合わせ担当ということでララウにデスクを作る、って話もありました」
…そんな話は一切聞いてません。そちらの社長はすぐに話をしてくれる人でいいですね。
満 「…すみません。確認します」
打ち合わせが終わりララウを出た俺は、海風が吹く道を駅まで歩く。
日曜日の今日、俺は朝イチで作業場予定だったマンションの内見をし、業者に行ってミシンなどの道具を見てきた。
あんなに熱をもって触れていたミシンに、今は「休日出勤しんどいよ」という思いで触れなければいけないことが切なかった。
誰かが言ってましたよね? 夜明け前が一番暗い、と。今、それなのかな?
だって、俺、スタイリストのマネージャーを外されて、新豊洲のララウ本社でお直し業務の問い合わせ担当するんだって。おれどこの社員なの?
満 「…はぁ」
大きなため息を吐きながら、駅前の自販機でホットコーヒーを買った。まさか定年になるまでこの自販機にお世話になるってことは…ないよな?
やりたい仕事と家族の時間。両方はやっぱり高望みなんだろうか。 / 第10話 side満

スタイリストの派遣会社・フリープランでマネージャーをしていた満は、社長の頼みを断ることができないまま、高級クリーニング店ララウと共同で始める「服のお直し」の新規事業の担当になってしまった。服を作るのが大好きだったはずなのに、やっているのはお直し業務の依頼をメールや電話で受け付ける仕事…。やりたかった仕事とどんどん離れていくことに悩む満に1本のメッセが届く―。

第10話 side 満

――これでいいのか、俺。
と、思いつつ何もできず、気づけば2017年が終わり、2018年が始まって10日ほど経っていた。
新規事業が始まって、俺は自分が働くフリープランの事務所ではなく、新豊洲のララウのオフィスで毎日洋服のお直し依頼の受け付けをしている。
もはや俺は何者なのか。分からない…。分からない…。分からない…。ぜんぜんまだまだ夜明け前な感じ…。真っ暗な俺の世界…。
少し明るくなったことと言えば、キリが熱を出した日をきっかけにキリと母ちゃんの距離がどうやら縮んだこと。
俺を挟まずに2人でやり取りして、たしか今日も母ちゃんが何かの用事で都内に来るからうちに泊まるって言っていた。何の用だったかまでは覚えてないけど、たしか今日だったと思う。
満 「…はぁ」
定時で会社を出た俺はいつものように駅前の自販機でホットコーヒーを買う。

駅の改札を入って電車を待ちつつ、コーヒーを飲んでいると、自称ラッパーのタカヒロからスマホにメッセが届いた。
メッセ 「お疲れメーン。前に話したK.Dと久々に飲んでみっつーのこと話してみたんだぞい! K.DがさっそくみっつーのPCメールに転職情報を送ったらしいからYO! チェケラ! してくれるかい?」
なんだ、K.Dって。
…あぁ、先月地元で江原とタカヒロと3人で飲んだ時に言ってた転職エージェントのことか。
…すっかり忘れてた。地元に俺のやりたい仕事なんてないだろ…。
そう思いながら俺はホームのベンチに座り、スマホからメールを見た。
満 「…うわ」
K.Dこと、土井和夫が送って来た求人情報はこうだ。
・名古屋にあるフォトスタジオ
・撮影の世界観を大切にしていて、衣装やセットなどをこだわれるお店
・現在のスタイリストが辞めるため、新しいスタイリストを募集
・時には衣装を作ることもあるので、専門の技術がある方優遇
なんだろう。まるで誰かに一目ぼれしたような、そんなワクワク感。
36歳にもなって、心が躍る。客が作りたい世界観に合わせて衣装を決めたり、作ったり。考えただけで楽しい。
と思いつつも…給料を見た俺は一気に冷静になってしまう。けっこう下がるな…。
冷たい空気と共にやってきた電車に乗り込み、窓の外にいくつもあるビルを眺めながら思い出す。
東京で成功するんだ! と田舎から出てきた何も知らない真っ白な青年。
色々あったけど、今もこうして都内で頑張ってる。これまでの自分に多少の誇りはあるし、ここで終わっていいのか俺、という気持ちもある。
でも…今やってる仕事は正直、楽しめない。これがもし定年まで続くならしんどい。
でもでも…本当に都落ちしてしまって、後悔しないのか分からない。これまでフリープランで頑張ってきて、スタッフたちともうまくやれてるのに。みんなに迷惑をかけることはしたくない…。
でもでもでもでもでもでも…。

猛烈にモヤモヤしながら帰宅すると、夕飯の用意が出来ていた。
今夜は母ちゃんが野菜中心の料理をたくさん作ったようで、一品一品は普通の家庭料理だけど、なんだか豪華に見える。
満「ただいまー」
真由美 「おかえり」
キリコ 「おかえりなさーい」
満 「奏太、ただいま」
奏太 「………」
ぜんぜん楽しくない俺の気持ちとは裏腹に、お直し業務は順調で、ララウ全会員にサービスを始めることになり、俺は今でもときどき休日出勤されられている。
だから奏太は再び「パパきらい」モード発令中。大好きなわが子に無視されてまで仕事する俺…。
真由美 「さ、たべよ、たべよ」
奏太 「いっただきまーす!」
定時で帰れるようになって、こうして夕飯を一緒に食べられるのはすごくいいんだけどなぁ。
これにプラス「俺のやる気」「奏太と遊ぶ時間」も確保できたら最高だけど、それは望み過ぎなんだろうか。さっきのフォトスタジオなら全部叶ったりして…。
副菜をちょこちょこ挟みつつ食べていると、奏太が眠くなってしまって、キリが奏太を抱えて寝室に向かった。眠いなら寝たらいいのに、寝付けずにグズっている奏太の声が聞こえる。
キリと替わってあげたいけど、奏太、俺だとさらにグズるだろうな…。
満 「…はぁ」
思わずため息を吐くと、母ちゃんと目があった。
真由美 「仕事はどうなの?」
満 「…ん、別に、フツー」
楽しくない仕事のことを母ちゃんに話したくなんかありませんよ…。
真由美 「フツーって…。たまにしか聞けないんだから聞かせてよ」
満 「別に…話すようなことはないよ。…疲れてるんだからゆっくりテレビ見させてよ」
真由美 「…ふふふ」
満 「…なんだよ?」

真由美 「昔はお母さんがよく満に言ってたなぁと思って。疲れてるんだから、って。あの頃はお前も甘えたくて、いっつもお母さんに引っ付いて、色んな話をしたがったのにね」
満 「そりゃ…子どもだったしね。こんなおっさんになっても変わらなかったら怖いだろ」
真由美 「そうだね。満さ、奏ちゃんに嫌われてるの? パパきらいって言ってたけど」
…う。俺のいないところでも言ってるのか。泣きそう。
満 「……最近、あんまり遊んでやれてなかったからね」
真由美 「子どものために仕事いくら頑張っても、嫌われたら本末転倒だよ」
満 「い…言われなくても分かってるよ。食べ終わったなら風呂に入ってきなよ。一番風呂、どうぞ」
真由美 「お母さんもお兄ちゃんとお前のために一生懸命がんばってる間に、お前たちのカワイイ時期はあっと言う間に過ぎちゃって、こーんな風に可愛くなくなっちゃったんだから。あー、奏ちゃんはカワイイ。お風呂入ります」
母ちゃんは笑いながら食器を持って席を立った。言い返す言葉もなく、ぼんやりテレビを見ていると、風呂に入った母ちゃんと交代でキリがリビングにやってきた。
キリコ 「奏太、寝たよ。…お義母さんに仕事のこと話してあげればいいのに」
キリは席に着くと、まだ途中だった夕食を食べ始める。
満 「…聞いてたの?」
キリコ 「聞こえてたの。こっちに来ようと思ったら2人が話し出したから、行くタイミングを見計らってたんだよ。母と息子の会話を聞いてて悲しくなってきたよ。奏太もこうなるのかなー、寂しい」
満 「…疲れてるんだからしょうがないでしょ」
キリコ 「まったく母の気持ちをなーんにもわからない息子だわ。子どものころから変わらないのね」
満 「…なんだよ。やけに突っかかるじゃん」
キリコ 「なんか本当、奏ちゃんもいつかパパみたいになるのかと思うと…」
満 「パパみたいって…」
キリコ 「昼間さ、お義母さんからパパの子どもの頃の話を聞いたのよー。いやー、かわいかった」
…何を聞いたわけ?大きめの茹でブロッコリーを口に入れてもぐもぐ口を動かしているキリの次の言葉を待つ。
キリコ 「予想外に、野球がうまかったようで」
満 「え?」
キリコ 「聞いたよ。逆転ホームランを打った最後の試合。ヒーローじゃん、パパ。そこで運を使い切ったね」
それって…小学校最後の試合のことだよな?
満 「…待って。なんで知ってるの?」
キリコ 「だーかーらー、お義母さんにー」
満 「いや、だからなんで母ちゃんが知ってんのって聞いてんの。仕事だったから応援にも来てなかったはずだよ」

俺の返しにキリが「ふふふ」と笑いながら味噌汁を飲む。
何がおかしいって言うんだ?あの日、母ちゃんは試合を見にきてないぞ。というか、そもそも練習も試合も一度も来た事なんてない。いつだって子どもより「おぼろさん」が優先された家なんだから。
キリコ 「お義母さんね、時々こっそり見に行ってたんだって。お義父さんに怒られないように買い出しに行くふりして」
…マジか。まさか20年以上経ってから知らされる事実。
キリコ 「わかったらお義母さんに仕事の話をしてあげないさい」
満 「………はい」
キリコ 「よし。あー、お腹いっぱい。そうだ、きんつばがあるよ? デザートに食べよう」
え、まだ食べるの? と突っ込もうとしたら、キリのスマホが鳴った。
キリコ 「わーーーー」
スマホを見るなり、キリが机に突っ伏したまま固まってしまう。
満「……え? なに? どうした?」
――円田家の新しい選択。それはこの夜から始まったのだった。

▶︎▶︎ 次回、11話は、3/16(金)公開予定!
※来週3/13(火)は1話から10話のあらすじまとめを公開予定です◎

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