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「大人が遊びを断ってもいい」保育者・柴田愛子さんの『大人と子ども関係論』

「大人が遊びを断ってもいい」保育者・柴田愛子さんの『大人と子ども関係論』のタイトル画像

「子どものために…」と自分を犠牲にしていませんか?“子ども側に視点を置く”ことは、“子どもの言いなりになる”ことじゃない。子どもも親も、自分を大事に。そこから、自分たちらしい家族のかたちが育まれていくのです。


大人には「わからない」と感じてしまうことが多い、子どもの世界。

前編では、「りんごの木」の保育者・柴田愛子さんに、子どもの世界が見えるようになった経緯と、子どもと一緒に楽しく暮らすために実践している“諦め”と“工夫”について聞きました。

心が軽くなってきたところで、後編では、いよいよ未知すぎる子どもの世界へ。

「わからない」が「おもしろい」に変わるヒントは、実はとっても意外なところにありました。



“クレヨン削り”を覚悟して眺めたら…

―― 前回は子どもとの暮らしでの“諦め”と“工夫”についてお聞きしました。

その中で私が感じたのは、愛子さんご自身が探究心をお持ちだってことです。

子どもが次から次へと引っ張り出したティッシュをまた取り出せるようにたたみ直してみようなんて、私はめんどくさいって思っちゃうと思うんですが、愛子さんはそれをおもしろがってらっしゃる。

その感性や探究心はどこから来るのかな、って。



「大人が遊びを断ってもいい」保育者・柴田愛子さんの『大人と子ども関係論』の画像1


感性や探究心って、実はみんな持っていると思うの。

でも子育てしていると、「これはしないでほしい」と子どもの探究心にストップをかけることばかり考えちゃって、大人は自分の心を動かさなくなってきているのかもしれない。

子どもを見守って「おもしろい」と思えると、自分の心も復活してくると思うわよ。

「大人が遊びを断ってもいい」保育者・柴田愛子さんの『大人と子ども関係論』の画像2


―― 愛子さんの眼差しからは、その「おもしろい」と思うためのヒントが見つかる気がします。


私が「諦める」からもう一歩進んで、子どもを「おもしろい」って思えるようになったのは、覚悟して眺めたからなの。

昔ね、クレヨンをおろし金でおろしはじめた子がいたのよ。「きれー!きれー!」って、目をキラキラ輝かせて。


―― そんなに喜んでいると、「ダメ」って言いづらいですね(笑)。


そうなのよ。しかもそういうことに限って、どんどん流行っちゃうのよね(笑)。

そのときにね、「困ったなぁ、でもこんなに喜んでいるしなぁ」って葛藤している自分がいたの。「私はなんで葛藤するんだろう?」って考えたんだけど、「これは絵を描くものだ」と思っているからだったのよね。


―― どういうことでしょうか?

つまりね、クレヨンって私にとっては描くものだけど、初めて出会う子どもにとっては、色の棒でしかないってことに気がついたの。

それを「おろしたらきれい」って発見することは、いいことなのかも、って思うようになったのね。


―― 確かに、見え方が変わってきますね。


それで、「要らなくなったクレヨンください」って保護者の人に呼びかけて集めて、見守ることにしたの。

そうするとね、今度は油粘土に混ぜだしたの。それがきれいなのよ。

さらに次は水に溶かそうとするんだけどね、今度は溶けない。水と油だからね。

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コノビー編集部

Conobie編集部連載では、「個性がのびる、子どもがのびる」をテーマに、スタッフが厳選したコラム・まとめ情報などをお伝えいたします。それぞれの家族が、「我が家...

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