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公開 2017年06月30日  

お迎えアクシデントが、俺の覚悟を試している/連続小説 第19話

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朝、支度に苦労しながらもなんとか奏太を一時保育に預け、数日ぶりの会社に出勤した満。順調に仕事をこなし、予定通りお迎えに行くはずだったのだが、予想外のアクシデントが起きる。果たしてどうなる……!?


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――奏太にとっては初めての一時保育。お迎えに間に合うと思っていたのに……。

15時頃、ケンゾーから電話が掛かって来た。

ケンゾー「あ、満さん。今、事務所に誰かいますか?」

   「いや…俺だけだけど」

ケンゾー「…そうですか」

   「なにかあった?」

ケンゾー「………」

その沈黙から、嫌な空気が伝わって来る。

   「誰か声かけられるかもしれないし、やれることはやるから、言って」

ケンゾー「実は…」

また、アシスタントがやらかしてしまった。

今日の16時に千葉のキャンプ場で行われるセノーチェの撮影。

キャンプ道具はセノーチェ側が用意しているのだが、日よけになるシェードガゼボに飾り付けるガーランドはこちらが用意することになっていた。

セノーチェのカタログに使う写真のため既存のガーランドは使えず、昨夜ケンゾーが手作りしたものを使用する予定だった。

それを、アシスタントが事務所に忘れて現場に向かってしまったのだ。

ケンゾー「俺は前の現場がまだ終わってなくて…。アシスタントの尾上たちは今、千葉の現場に着いたそうなんです。今から事務所に取りに戻るとなると、撮影時間に間に合いません…。参ったな…」

(ここから千葉のキャンプ場まで車で一時間…。今すぐ届けないと撮影に間に合わない。でも…千葉から託児所に直行するのも一時間くらいかかるし、そうなるとお迎えに間に合わなくなる)

どうするべきか言葉に詰まっていると、ケンゾーが再び話し出した。

ケンゾー「俺が悪いんです。バタバタしてて尾上たちに念押せなかったんですよ。だからこっちで何とかします。社長に電話します。じゃあ」

   「ちょっと待って、ケンゾーくん」

ケンゾー「本当すみません。気にしないでください」

   「何言ってんだよ。飾り付けがないと話になんないだろ。今から届けに行くから」

ケンゾー「でも…」

   「お迎えのことは大丈夫。延長を頼んでみる。とにかく今の現場を無事に終わらせて、すぐ千葉に向かって」

ケンゾー「満さん…。ほんっとにすみません!ありがとうございます!」

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電話が切れ、俺はふーっと息を吐くと、ガーランドが入った紙袋と、デスクの上に置いておいた奏太の東西線をポケットに突っ込んで事務所を出た。

事務所の車に乗り込み、「ともだちっこ」に電話をかけるが、何度掛けても話し中で繋がらない。

時計をチラリと見て、今度はキリコに電話をする。

キリコ 「もしもし」

   「キリ、悪い。託児所に延長できないか聞いてくれないか?」

キリコ 「え? 延長? どうして」

  「トラブルで少し遅れるかもしれないんだ」

キリコ 「少しってどのくらい? 奏ちゃん…初めて預けられて朝から夕方まで頑張って(るのに)」

   「ごめん、ちょっと今から高速乗っちゃうから、お願い!」

(この仕事までミスったら、本当にうちの会社はヤバくなる。そうなったら…。いや、どうにか間に合わせるぞ。撮影もお迎えも)

俺は電話を切ると、勢いよく車を発進させた――。

幸い道が空いていたこともあり、四時前に現場に到着することができた。

だだっ広い芝生の上にシェードガゼボが設置され、バーベキューをする道具やネイティブ柄の紺色ブランケットが掛けられた茶色のソファーが置かれている。

撮影スタッフたちやセノーチェ社員たちがいる中、隅っこの方に真っ青な顔をした尾上が心細そうに立っていた。

(ケンゾーはまだ到着してないのか)

俺が尾上の方に歩き出すと、尾上が俺に気づき勢いよく頭を下げた。

尾上  「すっ、すみません! すみません!」

   「北野は?」

尾上  「…現場に到着してすぐに…ガーランドを忘れたことに気づいて、近くの布屋に向かいました」

(北野も北野で、正義感が強いのはいいけど、ちゃんと指示待ちしてほしいよなぁ)

   「ガーランドを忘れたことは、セノーチェ側に」

尾上  「………」

   「言えるわけないよな」

尾上  「本当にすみませんでした…。俺が…俺がいつも確認ミスがあって」

(「これで何度目だよ?」…って怒ることは簡単だけど。現場で怒っても仕方ない。ちゃんと仕事をしてもらわないと。反省は仕事が終わってからにしてもらおう)

   「北野を呼び戻してくれる?」

俺は持ってきたガーランドを尾上に渡す。

   「とにかく間に合ったんだから大丈夫。気持ちを切り替えて、良い仕事してちょうだい、ね」

尾上  「…ありがとうございます! すぐに北野くんに電話します!」

   「うん」

その時、ズボンのポケットの中でスマホがバイブし始めて、すぐさま取り出す。

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電話はキリコからだった。

   「どう?延長できた?」

キリコ 「それが…五時以降の預かりは原則、事前予約が必要みたいで」

(しまった…。言われてみたら「ともだちっこ」自体が五時までだった…)

   「悪い、それでも延長可能か聞いてみてくれない? 今、トラブル処理が終わったから、急いで向かうよ。道は空いてたし、一時間後には着けると思う」

キリコ 「一時間後ってことは五時ちょっと過ぎ?」

   「そうだな…。遅くとも五時半までには行けるんじゃないかな」

キリコ 「………」

   「…キリ? もしもし?」

キリコ 「…先生から聞いたんだけど、奏ちゃんずっと泣いてて、お昼ご飯もおやつも食べてないんだって」

   「………」

キリコ 「もし延長になって夜ごはんも園で食べるなら、ちゃんと食べてくれるかどうかって言ってた………」

   「そうか…。遅くならないようにすぐに向かうから。じゃあ、今から行く」

ケンゾー「お疲れ様です! すみません、遅くなって」

電話を切ったと同時にケンゾーが走って現場に現れた。

(よかった)

   「悪いけど、俺すぐに戻らないと。あとは任せた。いろいろ尾上に聞いて」

ケンゾー「はい」

早く迎えに行かないと、とその場を去ろうとした時――。

   「うわあああん! ママー!」

男の子が泣く声が聞こえてきた。

思わず振り返ると、子どもモデルの男の子が芝生に仰向けになって泣きわめいていた。

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見た感じからして、奏太と同じくらいの歳だろう。

男の子 「着がえない! 帰る! 帰るの!」

それをなだめている老夫婦とスマホで何かを探している様子のセノーチェ社員・岡田氏。

岡田  「あった、あった。ほら、ユウマくん、アンパンマンの動画だよ。アンパンマン、好きなんでしょ?」

ユウマ 「好きじゃない! うわーん!」

無理やり動画を見せようとする岡田の手をユウマが勢いよく払い、岡田は「痛っ!」と声を上げた。

ケンゾー「珍しいな。ユウマくんがあんなにグズってるの初めて見た」

   「そうなの?」

ケンゾー「はい。カタログ撮影で何度か仕事したことがあって。あれ、今日はお母さん来てないんだ?」

尾上  「お母さんはつわりで寝込んでるとかで、今日はおじいちゃんおばあちゃんが連れてきてるんです」

(なるほど。それでご機嫌ななめなのか。いつもはお母さんが一緒だから、機嫌よく撮影できてたんだろうな)

祖母  「ユウちゃん、アンパンマンだよ。好きでしょ」

ユウマ 「好きじゃない! 好きじゃない! もう帰る!」

祖父  「ごめんなさいね。たまにしか会ってないから…。前はアンパンマンが好きだったんだけどね」

ユウマはまだ、着替えすら済んでいない。

今からほかの子どもモデルを連れてくる時間はないし、大人のモデルの拘束時間もあるし、そもそも自然光での撮影はタイムリミットがある。

   「夕日の中の撮影なんだよね?」

ケンゾー「はい。間に合うかな…。どうしよう…」

俺とケンゾーと尾上が同時に空を見つめると、「どうしたんですか?」と空を見上げた北野がやって来た。

(託児所の延長は出来ただろうか。さっさと車に乗って迎えに行かないと。泣いてる奏太に「迎えに来たよ」と言って抱きしめてやらないと。…でもこのまま撮影が進まないのを見て見ぬふりをして行くことは出来ない。そんなことしたら、そもそも託児所を延長してまでここに来た意味が無くなる。やれることをやって、奏太に「待たせてごめんな」って一晩中でも抱きしめて分かってもらおう。ユウマくんを泣き止ませることが、今の俺の仕事だ)

駐車場に向かおうとしていた足をユウマに方向転換する。

   「こんにちは。アンパンマンは卒業しちゃったのかな? あとはなにが好き?トーマス、チャギントン、ドラえもん、仮面ライダー」

ユウマ 「もう、おうちに帰る! ママのことろに帰る!」

泣きわめいて俺を見ようとしないユウマ。俺は目線を合わせようとしゃがんだ。すると…。

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(…あ)

ズボンのポケットから救世主が顔を出した。それは奏太の東西線。

   「ユウマくん、プラレール好き? おじさんの息子はね、東西線が好きなの」

俺の言葉にユウマはピクッと反応し、目線を東西線に向けた。

ユウマ 「あ」

   「ユウマくんも東西線すき?」

ユウマ 「ううん、僕は長堀鶴見緑地線がすき」

今度はユウマも、まっすぐに俺の目を見た。

次の俺の言葉を待っている。

話の分かるやつか、そうじゃないのか、見定めようとしてる。

(う…。なんだっけそれ…。なんか聞いたことあるぞ…。なんだっけ。あぁ、思い出せ俺。今、記憶力のすべてを絞り出すんだ)

思わず目をつぶると、奏太と見たDVDの映像がまぶたの裏に映った。

   「…あ、関西の地下鉄だ。黄緑色の線が入ってるんだよね。それで確か、ブーメランみたいなマークがついてる」

ユウマ 「そうだよ! あはは」

ユウマは飛び起きて、笑顔を見せる。

ユウマ 「なんで? おじさん、なんで長堀鶴見緑地線、知ってるの? 乗ったの?」

   「乗ったことはないけど、長堀鶴見緑地線が出てるDVDがあるんだよ。お写真終わったらさ、おじいちゃんおばあちゃんにTSUTAYAに連れてってもらいなよ」

(おじいちゃんおばあちゃん、勝手に約束、ごめんなさい!)

ユウマ 「うん!」

   「じゃあさ、衣装に着替えてくれるかな?」

ユウマ 「いいよ!」

   「ケンゾー、あと頼む」

ケンゾー「はい」

ホッとしてふぅーっと息を吐いていると、ずっと見ていた岡田が口を開いた。

岡田  「円田さんって鉄男だったんですね」

   「え? …いやいや! 我が家に子鉄がいるんです」

岡田  「コテツ?? とにかく助かりました。ありがとうございます」

岡田に頭を下げられ、俺も慌てて頭を下げる。

   「こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。すみませんが、あとはケンゾーに任せますので、失礼します」

岡田  「分かりました。お疲れ様です」

急いで駐車場に向かい、車に乗り込むとすでに四時半を過ぎていた。

(まずい…。キリに電話しないと)

しかしキリコは話し中で、そのあと託児所に電話してみたものの、そちらも話し中だった。

メッセ 「ごめん、色々あって今から出る」

手早くキリコにメッセを送ると、勢いよく車を発進させた。

早く迎えに行かないと。

そんな気持ちとは裏腹に、帰り道は渋滞にはまってしまい、川口に着いたのは六時過ぎのことだった。

託児所は商店街の中にあって駐車場がないのと、自宅マンションにも駐車場の空きがないため、俺は駅前のコインパーキングに車を停め、自転車を飛ばして託児所に向かった。

そして中階段を駆け上がり、インターフォンで名前を告げると私服の保育士が出てきた。

   「本当にすみません!ご迷惑掛けて。奏太は」

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保育士 「…あれ、連絡いってませんか? 奥様と電話で相談して、奥様のお知り合いの『青田文乃』さんって方がお迎えに来ましたよ」

   「え…。あ、すみません」

保育士 「大丈夫ですかね?」

   「あ、はい」

保育士 「お父さんもお疲れですね。ご苦労様です。それじゃあ、片づけがありますので失礼しますね。」

扉が閉まり、俺はへろへろになった足で薄暗い階段を下りた。

そして自転車の前でスマホを見るとキリコからメッセがいくつも届いていた。

必死で運転していたので、全く気づかなかったみたいだ。

メッセ 「16:58 川口に着いた?」

メッセ 「17:12 託児所に電話したけど来てないみたいだね」

メッセ 「17:33 これ以上は奏ちゃんが可哀想だからお迎えを文乃ちゃんに頼みました」

メッセ 「17:51 文乃ちゃんが奏ちゃんを病院に連れてきてくれました。奏ちゃんは水分もあまり摂ってなかったみたいで、リンゴジュースを一気飲みして、大好きな蒸しパンを食べて、私のベッドで寝てます。きっとすごく疲れたんだと思う。目の周りが真っ赤に腫れてる」

俺はポケットにスマホを突っ込むと、自転車で病院に向かった。

途中、セブンイレブンに寄って、キリコに頼まれたレアチーズケーキと奏太の好きなグミを買った。

こんなことになってキリコはきっと怒ってる。俺に色々言いたくてたまらないはずだ。

でもいつものように何も言わずに終わらないで、今日はきちんと話さなきゃ。

きちんと事情を説明して、会社のこと、これからどうするべきか、喧嘩になっても話さないと。

俺たち三人、家族のために――。

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